寺伝によると開基の伝翁(俗名:藤原匡親)は永禄8年(1565年)に小田原北条家四代目北条氏政に土地を寄進され了源寺は現在の地に始まりました。
その後、本願寺と織田信長の争いが激化すると石山本願寺に入り、石山や紀伊国で転戦したとされています。
「足利家に仕えており、主君が暗殺された後、仏門に入った」との記載もあり、永禄8年の「永禄の変」(三好三人衆による義輝暗殺)の後に石山に入り石山合戦終結後の天正8年の可能性もあります。
現在の本堂は白河藩三代藩主、久松松平家九代当主である、松平定信公によって創建されました。
享保年間(1716〜36)、徳川幕府が大砲の試射を行ったという台座がありました。これを廃止した際、当時の代官の勧めで鐘楼堂を建て、幕府から「時の鐘」として公許され、明治4年(1871)に廃止されるまで、船橋一帯に時を告げていました。
上記の鐘楼堂が「時の鐘」を告げていた際、時間の基準となっていた時計です。
※現在一般公開はしておりません。
蜀山人大田南畝が船橋に宿泊した時に、この鐘の音を聞いて詠んだ、自筆の狂歌の掛け軸です。
蜀 山 人 |
き く や わ た り に 船 橋 の 寺 |
煩 悩 の 眠 り を さ ま す 時 の か ね |
鐘 楼 あ り き と き き て |
か た な し こ こ に 二 六 の 時 を つ く る |
上 総 の 山 々 海 上 つ ら な り 眺 望 い わ ん |
高 ね は い う に 及 ば ず 伊 豆 さ が み 安 房 |
了 源 寺 は こ だ か き 所 に し て 富 士 の |
下 総 の く に 船 橋 の 宿 光 雲 山 |
※現在一般公開はしておりません。
側面に「辰天閏四月四日 徳川家臣菅野銃亮源元資 行年二十八才 死亡」と書かれています。
〒273-0003
千葉県船橋市宮本7-7-1
TEL.047-422-4351
FAX.047-424-3223